足利・佐野・太田・桐生・小山・結城・下野で一戸建て、注文住宅、家づくりのことは東建ビルダー

GWは感謝の日

ありがとうございます。

GW(ゴールデンウイーク)も終わりました。

住宅部門は、イベントを開催してたくさんのお客様の来場をいただきました。

本当にありがたいことです。

足利店は、ショールームで独自のイベントを4日間連続で行いました。

今回のチラシは「B2サイズ」!!

5月のGWにイベントを行ないます。

チラシだけなら「ヤマダ電機」や「コジマ」と同じです(笑い)。

イベント模様は、当HPの「家づくりブログ」を参照いただければ幸いです。

毎年恒例の「大感謝祭」以外のショールームイベントとしては、

開店以来一番多くの来場がありました。

お客様に楽しんでいただけこともありがたいですが、設営側の社員の皆様が楽しんで

笑顔でお客様をご対応していただいていることもありがたいです。

また、イベントはメーカーさんや協力業者さん、部門を超えた社員の皆様にも

ご協力いただいております。

そして、体験教室では地域の皆様のご協力もいただいております。

今年のGWも感謝、感謝の日々でした。

「顔」by読売新聞

ありがとうございます。

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この記事は、先日読売新聞の総合ページの「顔」コーナーに掲載されたものです。

当社が支援している「みんなのとしょかんプロジェクト」の代表「川端 秀明さん」が

取り上げられています!!

そして、背景にある「本棚」は当社が支援した「手作り本棚」です!!

これまで岩手、宮城、福島で22か所の設置があったそうです。

全然数えていませんでしたが、支援した「手作り本棚」の数は、1か所平均約5台としても

約110台。

そのうちの数十台(数えていない・・・)は当社で提供させていただきました。

読売新聞の総合ページに取り上げるようなプロジェクトを

支援させていただき、プロジェクトを手掛ける川端代表に関わることが出来るのは

本当に光栄ですね。

今後は東日本大震災の被災地だけでなく、財政破綻した夕張市や海外にも

展開するとのことです。

今後も引き続き出来る限りの支援を続けていきます。

赤穂義士

ありがとうございます。

新建ハウジング社さんのフォーラムが品川開催でしたので

お昼の時間を利用して、品川の泉岳寺にある「赤穂四十七士」の墓地を訪問しました。

泉岳寺⇒http://www.sengakuji.or.jp/

「赤穂四十七士」をご存じでしょうか?

元禄14年3月14日(西暦1701年4月21日)に播磨赤穂藩主の浅野長矩(内匠頭)が、高家旗本・吉良義央(上野介)に対して江戸城殿中において刃傷に及ぶも失敗し、殿中抜刀の罪で即日切腹・赤穂藩改易となったが、浅野の遺臣である大石良雄(内蔵助)以下、赤穂浪士47名(四十七士)が翌元禄15年12月14日(1703年1月30日)深夜に吉良屋敷に討ち入り、主君が討ち漏らした吉良義央を討った事件。

上記の「四十七士」を通称「赤穂四十七士」と云われています。

「忠臣蔵」として、大河ドラマや時代劇や書籍などでは広く知られています。

江戸時代という、江戸幕府や将軍中心の封建主義の時代の中で、

主君のために命を捨ててまで「仇討ち」を果たしたという事件は、

現在の世でも語り継がれている所以です。

墓地は、主君「浅野長矩 公」の墓地の横に寄り添うようにあります。

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実際の墓地は「48」です。

これは、47士の他に、本人は討ち入りを熱望したものの周囲の反対に遭い討ち入り前に

切腹した萱野三平の供養墓があるからです。

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境内には、義士が本懐成就後、吉良上野介の首を井戸水で洗い、

主君の墓前に供え報告した「首洗い井戸」など所縁のあるスポットがあります。

墓地を訪問して、

会社で「社長」という最高責任者として、社員の皆様のお役に立ち、

社員の皆様をどう幸せに出来るかが大きな役割であり、

果たして、現在どれほど出来ているのか、出来ていないのか、

自分で決めることも評価することも出来ませんが、

断固たる決意と覚悟でがんばろう!!と改めて心に誓いました。

氏名は使命

ありがとうございます。

私の名前は「國定 崇伸」です。

名刺交換や自己紹介などで、名字が全国的にはあまりなく珍しいのと、

国を定めるというとても壮大な感じのせいか、

名前をすぐに覚えていただいたり、名前でちょっとした話題になったりします。

自分より年上の先輩の皆様には、江戸時代後期にいろいろな意味!?

で活躍!?した「国定忠治」と関係あるんですか?

と聞かれることが多々あります。

「国定」という名字に感謝です。

姓名である「崇伸(たかのぶ)」も、壮大な名前であると思っています。

「崇」の意味は「気高い」「あがめる」「尊ぶ」です。

「崇高」と使用されることが多い漢字です。

本当になんとも壮大な名前ですね(笑い)。

名前の由来は、両親が地元では「子育て呑龍」として親しまれている

群馬県太田市にある「大光院」というお寺で薦めていただいた

名前候補の中から選んでいただいたものです。

両親は、いろいろな願いや想いを名前に込めていただいたものであるし、

そんな両親に感謝すると共に

壮大な名前に「名前負け!!」しないように、

名前に恥じないように着実にがんばっていきたいです。

たまには名前の由来や意味を考えてみるといいかもしれません。

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*ちなみに「国定忠治」の名前の由来ですが、本名は「長岡忠治」。

現在の群馬県伊勢崎市に「国定」という地域があります。江戸時代は

「国定村」でした。「国定村」の「忠治」ということで、通称で

「国定忠治」と呼ばれているようです。

よって、私と直接は関係はありませんが、現在の伊勢崎市国定町には

たくさんの「国定」という家がたくさんあります。

私の先祖はこの「国定」出身なので、間接的には関係があるかもしれません。