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社長ブログ

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2014-04-28

社長ブログ

赤穂義士

ありがとうございます。

新建ハウジング社さんのフォーラムが品川開催でしたので

お昼の時間を利用して、品川の泉岳寺にある「赤穂四十七士」の墓地を訪問しました。

泉岳寺⇒http://www.sengakuji.or.jp/

「赤穂四十七士」をご存じでしょうか?

元禄14年3月14日(西暦1701年4月21日)に播磨赤穂藩主の浅野長矩(内匠頭)が、高家旗本・吉良義央(上野介)に対して江戸城殿中において刃傷に及ぶも失敗し、殿中抜刀の罪で即日切腹・赤穂藩改易となったが、浅野の遺臣である大石良雄(内蔵助)以下、赤穂浪士47名(四十七士)が翌元禄15年12月14日(1703年1月30日)深夜に吉良屋敷に討ち入り、主君が討ち漏らした吉良義央を討った事件。

上記の「四十七士」を通称「赤穂四十七士」と云われています。

「忠臣蔵」として、大河ドラマや時代劇や書籍などでは広く知られています。

江戸時代という、江戸幕府や将軍中心の封建主義の時代の中で、

主君のために命を捨ててまで「仇討ち」を果たしたという事件は、

現在の世でも語り継がれている所以です。

墓地は、主君「浅野長矩 公」の墓地の横に寄り添うようにあります。

NCM_0461

実際の墓地は「48」です。

これは、47士の他に、本人は討ち入りを熱望したものの周囲の反対に遭い討ち入り前に

切腹した萱野三平の供養墓があるからです。

NCM_0459

境内には、義士が本懐成就後、吉良上野介の首を井戸水で洗い、

主君の墓前に供え報告した「首洗い井戸」など所縁のあるスポットがあります。

墓地を訪問して、

会社で「社長」という最高責任者として、社員の皆様のお役に立ち、

社員の皆様をどう幸せに出来るかが大きな役割であり、

果たして、現在どれほど出来ているのか、出来ていないのか、

自分で決めることも評価することも出来ませんが、

断固たる決意と覚悟でがんばろう!!と改めて心に誓いました。